反論からのハイレゾ

muさん
もしかして僕を「売る側」だと思ってるんですか?
だとしたら、それは大雑把すぎますよ。
インディーズの商品じゃないので、
基本、作る側と売る側は全然別です。
僕は音楽プロデューサーともクレジットされていますが、
あくまで音楽制作についての仕事をしているだけです。
売ることには、会ったことない大勢の人が関わってます。
僕らは作ったものがどういう形態で売られるか
全然知らないし、関与もできません。

でもあれですね。
もしかしたらスガシカオさんくらいだったら
そういうことにも口を出せるのかもしれないですね。
僕も「DL版にもライナーPDFつけてiTunes以外でも売りましょう」
って言えばよかったのかな。
実現したらもちろんCDじゃなくてDLをオススメしますよ。
あ、でもそれも怒られちゃうから、
単にどっちでもいいから聴いてくださいって言うだけかもしれませんけど。
本当はアナログで出て欲しいんですよね。
ライナーもでっかいやつで。
あ、それはあまりに切望しすぎて、一年半前に言ってみたんだった。
やっぱり実現しませんでした。
まあそんなもんです。
やる気なさすぎですかね。

ちなみにハイレゾの話ですけど、
これも以前ツイートしたんですが、
僕は96k、192k、32bit云々言うより、
まずは24bit48kHzで出してほしいんです。
それは僕らがその環境で音楽を作っているから。
そして今のパソコンではスペック的に
すべての作業を96kで行うことすら難しいからです。
一発録音のライブ盤などはいいと思いますが、
何十トラックを丁寧に重ねている録音では
最新のPCでも96kにすると作業がかなりもたつきます。
未対応のプラグインもまだまだあります。
そして24bit48kHzでリリースするとしても
現状だとDLということになりますよね。
以前から思ってたんですけど、
CD-ROMに24bit48kHzのファイルを焼いて
普通にデータCDとして売るっていうの
なんでやってこなかったんですかね。
どうせ取り込むんだから、その方が早いのに。
まあ僕は音質厨ではないので
出てしまった後は何でもいいやと思ったりするんですが、
24bitで作っているものをマスタリングで16bitにする時は
やっぱりちょっと寂しいです。

反論

長い文章書くためにここ用意してあるんだけど、
まさかこういうことのために使うとは思ってなかったな。

ある方が自分のあるツイートをわりとちゃんと批判してくれてたので、
それに対する反論エントリーになります。

http://awatchfulprotector.blogspot.jp/2014/07/cddlcd.html


ここからはmuさんへの私信になります。
固有名詞などわからない方はごめんなさい。

muさん
あらためまして。山口優です。批判記事読ませて頂きました。
自分自身一番驚いたのは、自分への批判記事でありながら
まるっきり他人の話のように思えたことです。
つまり、批判以前の前提、事実認識が大幅に間違っているということです。

muさんが僕のことをどの程度知っているかはわからないんですが、
この記事に関することで言えば、こんな感じです。

かねてからCD嫌いなことを度々表明している。
DL推進派である。
スガシカオさんの「CD買って」発言を批判している。
アナログオンリーの中古レコード屋を経営している。

「星とピエロ」という作品についてはいかがでしょう?
あれは通常の音楽作品ではなく、いわば企画盤です。
どういう企画であったか、どういう経緯で作られたものか、
把握なさってますでしょうか?

muさんのおっしゃる「音楽はライナーがなくても聴けるものだ」
という主張はごもっともです。
しかし「星とピエロ」はアニメ本編と連動した音楽付きの小説のようなものです。
美人の例えで言えば、
「スリーサイズを設定し、そこから架空の美人をわざわざ作り出し、それを見る」
といったような少々変わったアルバムです。
もちろん我々は作曲家ですから、
音楽だけ聴いて頂いても楽しめるように作っています。
ですが、そういう経緯があるので、
ライナーを見た方がもっと楽しいですよとわざわざ書いているのです。
この辺りは、この作品ができた経緯をいま一度ご確認くださいませ。
きっとご理解頂けるものと思っております。

もう一つ決定的に勘違いされていることがあります。
後半の利率云々の話です。
弊社がCDの売り上げによる印税をあてにして
商売をしているとお思いなのだとしたら、それは大きな間違いです。
スガさんとは商売の形態も違うし、枚数レベルも違いすぎます。
はっきり申し上げますと、弊社の売り上げの中で、
CD販売の印税は1%にも満たないと思います。
CDとDLの印税の違いなど、僕らにとってはどうでもいい話ですし、
前述した通り、僕はDL推進派です。

ライナーやテキストファイルをつけてくれるDLサイトは
僕も時々使っています。ありがたいですよね。
直後のツイートで「iTunes Storeの欠点はライナーがないこと」と
僕自身が書いているくらいですから。
ただこのアルバムに関して言えば、残念ながら
ライナー付きで配信してくれてるサイトはないのです。
CDまたはライナーなしのDL、という選択肢しかありません。
このアルバム以外に僕がCDを勧めることなんて絶対あり得ません。
だってCDですよ。自分の店に置かないやつですよ。
ハイレゾに関しては、作り手としてちょっと思うところがあるんですが、
話が飛んでしまうので今回は割愛いたします。

なんか、前提や事実関係の誤認さえなければ、
僕とmuさんは似たようなことを言っているような気がしませんか?


以上です。

実はネットにこういうことを書くと、
色々と怒られちゃうので、
僕からの反論はこれで終わりにします。
ここへのリンクも自分のフォロワーさんに拡散しないよう
メンション付きツイートにとどめておきます。

積極的な理由ではないんだけど。

GoogleのスピンオフプロジェクトだったOrkutをスタートラインに、いろんなSNSを経験してきた。特に初期のmixiは素晴らしかった。実は僕はインターネット以前からFirstClassというグループウェアを使った「半分閉じた」ネットコミュニティをやっていたのだが、専用クライアントを使う面倒臭さがあって、なんとか似たものをブラウザベースで作れないかとメディアアーティスト/プログラマの江渡浩一郎くんに相談していた経緯がある。僕は作曲家なのでもちろん仕事ベースで本格的に話を進めていくはずもなく、ぼんやりしていたらOrkutが登場したというわけだ。Orkutはともかく、mixiを始めた時「ああ、自分で作る必要がなくなった」と思った記憶がある。

しばらくは完全にmixiにノックアウトされていた。足跡機能、赤旗機能(未読の表示)などの実装は言うまでもなく、とにかく90年代に「世界と繋がる!」はずだったインターネットが、実は大海すぎて行く先を見失うだけだったことがわかり、「実際世界と繋がるんだったら、まず第一歩は友達と繋がればよくね?次は友達の友達と繋がればよくね?そうこうしてるうちに世界に繋がるんじゃね?」という新たな方法論が出てきたというのが最大の衝撃だった。

mixiで最も興味深かったのは、インターネットを常に自分から見ているという体験である。友人の輪の中心は常に自分であり、その友人達も自分と近いクラスタの人たちが多くなる。だからサブカルの人は「mixiってサブカルの人多いよね」と言い、学生は「mixiって学生ばっかだよね」と言う。エキソニモの千房氏も触れていたが、SNS以降のインターネットは「インターネット」という一つの姿ではなく「それぞれのインターネット」として見えることになったのだ。

当時のmixiはお互いが日記にコメントをつけあうという行動によって繋がる仕組みになっていたが、実際日記を書くという行為はそれなりに面倒なことであり、また「面白い日記を書かなければいけない」というプレッシャーや自意識との戦いを回避してしまうユーザーも多くいたのも事実だった。そこにスっと登場したきたのがTwitterだ。

なんせ上限140字。「今なにしてる?」それだけを書けばいいことになった。それまでmixiで日記を書かなかった人がいきなり大量のツイートをしている場面も数多く見かけた。僕ら周辺の人たちはmixiを表舞台、Twitterには鍵をかけて楽屋として使っていたのだが、いつ頃からか(たぶん有名人が多く登場してきた頃からか)オープンにするのがデフォルトみたいな感じになってきた。フォロー申請がたくさん来るようになり、僕もそれまでのツイートの2/3くらいを削除して、ある日から公開に踏み切らざるを得なくなった。コントの如く楽屋の壁がバタバタっと倒れ、そこがいきなりまたステージになってしまったのだ。

Twitterは「ユーザ同士が承認しあわなくてもいい」という点でmixiとは根本的に異なる。mixiの様に対等の個人同士が日記という「ステージ」をお互いを見合うという形ではなく、ステージにいる誰かを客席から見ることが可能だ。初期はミニブログとか言われていたTwitterもいつの間にかSNSと呼ばれるようになったが、僕にはSNSの新しい精神性が一瞬にして崩壊してしまったように感じられた。その一方通行の繋がり方 (正確には繋がっていない) は、つまりはかつてのインターネットそのものだったからだ。

遅れてFacebookがやってくる。最悪のUIと金の匂いしかしない機能を携えて。自慢じゃないがFacebookの悪口なら何時間も言える。が、それはともかく、Facebookは基本的にはmixi的なSNSなので当然友人申請→承認という手順がある。ところがTwitter的な繋がり方を経験してきた人々は、見ず知らずの人に申請を出すようになってしまった。そもそもは140字という制限があってこそのスマートなUIだったタイムラインという方式を使う必然性もよくわからない。友人が、そのまた友人が撮った写真にコメントをつけると、なぜかこちらのTLにもそれが表示されてしまい、それをやめる方法が見当たらない。無茶苦茶としか言い様がない。mixi的なSNSTwitter的なSNSが共存するのはまだ許せるとしても、FBによってSNSの在り方がかき乱されてしまったことは非常に残念だ。僕は大抵新しいものの方に軍配をあげるタイプなのだが、SNSに関して言えば初期のmixiの発展形が今どこにも存在していないというのが本当に悲しい。

長々と書いてきたが、これはあえて長々と書いてるのだ。
というのは、SNSばっかやっていてブログをやっていなかった僕にはこのような文章を書く場所がなかったからだ。だから書いてる。

えーとつまり一言でいうと「ブログ始めました」ということになります。
今回は特に長かったけど、基本的に140字以上の文章はこちらに書くというスタンスでいます。
ほんとゴメン。長くて。